
恋愛・セックス・パートナーシップを「わかったつもり」で終わらせないために──。国際的な知見をもつジャーナリスト・池田和加が、映画や書籍、専門家の理論を手がかりに、性のテーマと丁寧に向き合う短期集中連載。最終回となる今回は、“オーガズム神話”の真実と、誰にも奪われない“私だけの快感”を見つけるヒントに迫ります。

- 「イク・イカない」という呪縛から解放されるために
- 科学が明かす「オーガズム・ギャップ」の真実
- 男女間に存在する生物学的な違い
- 性的指向による興味深いデータ
- クリトリスの重要性を無視してきた性表現
- 「射精目線」から「多様な親密さ」へ
- 映画に学ぶ「多様なセクシュアリティ」の表現
- 『DREAMS』
- 『LOVE』
- 『SEX』
- エミリー・ナゴスキー博士の革命的理論
- 「アクセル」と「ブレーキ」の個人差
- 「私だけの快感」を見つける具体的ステップ
- 1. セルフリサーチ:自分を知ることから始める
- 2. セルフプレジャーの再定義
- 3. パートナーとのコミュニケーション
- 4. 「満足度」の定義を広げる
- 「フェイク」問題への現実的な視点
「イク・イカない」という呪縛から解放されるために
「今夜もダメだった」「私って感じにくいのかな」「パートナーをがっかりさせてしまった」——。
こんなふうに心配したり、自己否定をしたりしたことがある人は少なくないだろう。オーガズムが「セックスの指標」として神話化され、多くの人が見えないプレッシャーに苦しんでいるのではないだろうか。
そもそもオーガズムとは、生物学的には性的興奮が頂点に達した際に起こる身体的・心理的な反応である。筋肉の収縮、心拍数の上昇、快感ホルモンの分泌などを伴うが、その感じ方や強度は個人差が極めて大きく、同じ人でも状況によって大きく変化する。
性科学の文献や取材を通して筆者が学んだのは、オーガズムをめぐる一般的な認識は、正しい性教育の不足と、メディアが作り上げた「理想像」が生み出したものだということだ。本コラムでは、オーガズムにまつわる誤解を科学的に検証し、一人一人が自分らしい快感を見つけるための道筋を探求してみたい。
科学が明かす「オーガズム・ギャップ」の真実
男女間に存在する生物学的な違い
まず押さえておくべきは、オーガズムには男女の間にギャップがあるということだ。しかも、これは生物学的事実である。
アメリカ・フロリダ大学教授のローリー・ミンツ博士が約800人の大学生を調査したところ、女性の39%、男性の91%がパートナーとのセックスで“ほとんど〜いつもオーガズムを経験する”ことが判明した。この圧倒的な差は、単なる個人の問題ではなく、生物学的な構造の違いに起因している。
また、ミンツ教授によると、よく話題に上るGスポットとは、触ればオーガズムを感じるようなピンポイントの場所ではない。「腟のすぐ上側に位置し、クリトリスの脚、女性の前立腺、腟の壁など広領域を指す」ものであり、さらにGスポットがない女性もいると主張している。
性的指向による興味深いデータ
さらに注目すべきは、同国のインディアナ大学、チャップマン大学、クレアモント大学院大学が52,500人以上を調べた大規模研究の結果だ。
オーガズムに達する人の割合は以下の通りである
異性愛女性:65%
バイセクシュアル女性:66%
レズビアン女性:86%
異性愛男性:95%
ゲイ男性:89%
バイセクシュアル男性:88%
興味深いことに、男性にとって性的指向はオーガズムにあまり影響せず、常に9割ほどの男性がオーガズムを感じる。一方で、女性は男性とのセックスでは、女性同士の場合よりもオーガズムを感じる割合が圧倒的に低い。これは、女性は挿入だけではオーガズムに達しづらいということを如実に物語っている。
クリトリスの重要性を無視してきた性表現
さまざまな学術研究でも、女性のオーガズムの約70%はクリトリス刺激によるものであることが証明されている。クリトリスには神経終末数が約8000個と多く集中しており、腟よりもクリトリスのほうが女性はオーガズムを感じやすいのだ。
それなのに、映画などメディアで表現されてきた女性のオーガズムは、男性からの挿入時に起こるものがほとんど。これはメディアの作り手が男性中心であったことから、女性のオーガズムが男性の射精と同じようなものだと誤解されて表現されてきた結果だということが考えられる。)
だからこそ、アダルトビデオで見る「潮吹き」が男性の射精とそっくりなのだ。私が業界関係者に聞いたところによると、「潮吹き」はほとんどが演出で、撮影前に大量の水を飲み、膀胱を刺激することで尿を出すケースが多いという。
「射精目線」から「多様な親密さ」へ
世の女性たちは「セックス=挿入」「オーガズム=挿入」という射精目線のセックス観に支配されがちである。しかし、性科学の観点から見ると、性的親密さには以下のような多様な要素が含まれる。
・肌と肌の触れ合い、視線を交わす親密さ、言葉による愛情表現
・呼吸や体温を共有する安心感、相手への信頼感から生まれる心理的満足
これらから幸せホルモンのオキシトシンが放出され、「性的快感」につながっている可能性があるとされている。オーガズムはその中のひとつの要素に過ぎないということを理解することが重要だ。
映画に学ぶ「多様なセクシュアリティ」の表現
ここで、メディアが描く「多様な快感」について考えてみよう。
特に注目すべきは、ノルウェーの映画監督ダーグ・ヨハン・ハウゲルードによる三部作『SEX』『DREAMS』『LOVE』だ。
三部作のすべてがベルリン、ヴェネチア国際映画祭に出品される快挙を成し遂げ、『DREAMS』では第75回ベルリン国際映画祭でノルウェー映画初となる金熊賞を受賞した。
『DREAMS』

【DREAMS】出演:エラ・オーヴァービー 、セロメ・エムネトゥ、アネ・ダール・トルプ、アンネ・マリット・ヤコブセン 2024年/ノルウェー
『DREAMS』では、17歳のヨハンネが女性教師ヨハンナへの初恋を手記に綴る。
この赤裸々な手記を詩人である祖母と母が読むことで、三世代の女性それぞれの"夢"や"欲望"が交錯し、家族の関係にも波紋が広がる。手記の内容は真実か創作か曖昧であり、創作行為と言葉による自己表現の境界が揺らぐ。金熊賞受賞作として、初恋の普遍性と個別性を繊細に描き出した。
『LOVE』

【LOVE】出演:アンドレア・ブレイン・ホヴィグ 、タヨ・チッタデッラ・ヤコブセン、マルテ・エンゲブリクセン、トーマス・グレスタッド、ラース・ヤコブ・ホルム 2024年/ノルウェー
『LOVE』は、女医マリアンヌと看護師トールが、カジュアルな親密さについて語り合う物語だ。
トールはフェリー上やマッチングアプリでの気ままな出会い経験を語り、性的自由を肯定する。恋愛に慎重なマリアンヌはその哲学に興味を惹かれ、自身の恋愛観を再考し始める。挿入や性描写はほぼなく、会話と心理的探求を通じて女性の自主性と多様な愛のかたちを描く。
『SEX』

【SEX】出演:ヤン・グンナー・ロイゼ、トルビョルン・ハール、シリ・フォルバーグ、ビルギッテ・ラーセン 2024年/ノルウェー
『SEX』は、既婚の煙突掃除夫二人が性とアイデンティティをめぐる対話を繰り広げる。
一人は男性客との一度限りの性的体験を妻に打ち明け、「浮気とはみなせない」と論じ合う。もう一人は「自分が女として見られる」という奇妙な夢に悩まされ、自らの"男らしさ"が他者の視線に依存していることに気づく。挿入や性行為を映さず、会話を通じて固定観念を解体し、性的境界の流動性を問いかける。
これら三部作は、従来の「挿入中心の性表現」とは対照的に、会話、心理的満足、信頼関係といった多様で個人的な親密さの形を提示している。挿入や性描写を排し、人間の内面的な欲望や葛藤を丁寧に描き出すことで、性とは何か、愛とは何かという本質的な問いを投げかけている。
エミリー・ナゴスキー博士の革命的理論
女性特有の複雑なメカニズム、とりわけ、性的興奮につながるテストステロン分泌量が男性の10分の1程度とされる女性は、興奮のメカニズムが男性よりも複雑である。
性行為前後の文脈——つまり、どのような状況で、どのような気持ちでいるかが、性的快感に大きく関係するのだ。
「アクセル」と「ブレーキ」の個人差
ナゴスキー博士の理論では、性欲には「アクセル(加速要因)」と「ブレーキ(抑制要因)」が働くという。
アクセルの例:
相手の匂いや声
適切な照明や音楽
安心できる環境
親密な会話
肌の触れ合い
ブレーキの例:
生活音や雑音
疲労やストレス
パートナーへの不信感
自分の体に対するコンプレックス
時間的プレッシャー
最も重要なのは、アクセルとブレーキは人によってまったく異なるということだ。ある人のアクセルが別の人のブレーキになることもあり、同じ人でも日によって変化する。女性の性的快感とは、このように非常に繊細で個人的なものなのである。
「イク・イカない」を心配していると、それ自体がストレスやプレッシャーになり、ますますプレジャーが遠のいていく。オーガズムは必須ではなく、性的快感の一つの形であることを理解したうえで、自分らしい快感を探求してみてはどうだろうか。
「私だけの快感」を見つける具体的ステップ
1. セルフリサーチ:自分を知ることから始める
自分の「アクセル」と「ブレーキ」を知るために、以下の質問を自分に投げかけてみよう。
どのような時間帯や季節に、最もリラックスできるか?
どんな香りや音楽が心地よいと感じるか?
パートナーのどのような言葉や仕草に安心感を覚えるか?
ストレスが高い時期と穏やかな時期では、求めるものがどう変わるか?
過去の経験で、心から満足できた瞬間に共通する要素は何か?
自分の体の中で、特に敏感に感じる部位はどこか?
どのような触れ方(強さ、リズム、温度)が心地よいか?
これらの答えに正解はない。大切なのは、自分自身の感覚に正直になることだ。
2. セルフプレジャーの再定義
セルフプレジャーを「単なる性的解放の手段」ではなく、「自己理解のための探求」として捉え直してみよう。自分の体のどの部分が敏感で、どんなリズムや圧力が心地よいかを、急がずゆっくりと発見していく。アロマを焚いてお気に入りの音楽を聴きながら、さまざまなタッチを試し、自分の体全体をゆっくりと探索してみる。
「正しい方法」を求めるのではなく、「自分にとって心地よい方法」を見つけることが目的だ。
3. パートナーとのコミュニケーション
「イク・イカない」の二元論から脱却し、以下のような多様な感情や感覚を言葉にして共有してみよう。
身体的な感覚を伝える例:
「今日はお腹を優しく撫でられるだけで十分満足」
「背中に手を置いてもらえると安心する」
「髪を触られるのが今日は特に気持ちいい」
感情的な満足を表現する例:
「この静かな時間をあなたと過ごせて幸せ」
「一緒に呼吸を合わせているだけで満たされる」
「あなたの声を聞いているだけで心が落ち着く」
環境や雰囲気について:
「このキャンドルの明かりが心地よい」
「あなたの匂いが好き」
「今の温度が気持ちいい」
このような表現は、パートナーとの親密さを深め、プレッシャーのない関係性を築く助けとなる。
4. 「満足度」の定義を広げる
セックスの満足度をオーガズムの有無ではなく、以下のような観点で評価してみよう。
お互いに安心感を得られたか
相手への愛情を表現できたか
自分の気持ちを素直に伝えられたか
その時間を楽しめたか
相手との絆を深められたか
「フェイク」問題への現実的な視点
世界のさまざまな研究を見ると、一度でも、「イったふり」といったオーガズムのフェイク演出をしたことがある女性は約60~70%と報告されている。男性もフェイク経験者は一定数存在するが、女性に比べて割合は低く、約3割にとどまる。フェイクをする女性が圧倒的に多いことがわかる。
「フェイク」すべきかどうかは、何をフェイクと定義するかによって変わる。気持ちがよくないのに気持ちよいフリをすると、ますます自分の体の自主性を失ってしまう。
しかし、ムードを盛り上げるためのプレイフルな演出は、必ずしもフェイクとは言えないだろう。大切なのは他人の基準ではなく、自分自身の体と心が教えてくれる「心地よさ」に耳を傾けることだ。それは抱きしめ合うことかもしれないし、深い会話かもしれないし、静かな時間かもしれない。
現実の私たちも、ハウゲルード監督の三部作が提示するような多様性を受け入れることから始めてみてはどうだろうか。一人一人が自分だけの「快感の地図」を描き、それをパートナーと共有できるのが真のセックスではないだろうか。誰かと比較する必要も、誰かの期待に応える必要もない。自分の体と心の声に耳を傾け、オーガズムの有無に一喜一憂するのはやめよう。真の性的満足は「正しい方法」を見つけることではなく、「自分らしい方法」を受け入れることから始まる。
9月5日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー!
ベストセラー小説家や図書館の司書といった異色の経歴を持ちながらも、長編映画デビュー作『I Belong』(英題/2012)や『Beware of Children』(英題/2019)がノルウェー・アカデミー賞(アマンダ賞)を席巻するなど、北欧映画界ではその確かな実力が評価されてきたダーグ・ヨハン・ハウゲルード。『SEX』で昨年の第74回ベルリン国際映画祭にてエキュメニカル賞を含む3部門を受賞、『LOVE』は第81回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品、そして『DREAMS』では今年の第75回ベルリン国際映画祭にてノルウェー映画初の金熊賞という快挙を成し遂げ、3作連続で世界中の注目を集めた。北欧の知られざる名手ハウゲルード渾身の3作品が、満を持しての日本初劇場公開。
監督・脚本:ダーグ・ヨハン・ハウゲルード
配給:ビターズ・エンド
後援:ノルウェー大使館
©Motlys
取材・文/池田和加 構成/長谷川直子