新刊『ことぱの観察』で、「『好きになる』『つきあう』など、普段から何気なく使っている言葉で、私たちは他人とわかり合えているのだろうか」と問いかける、詩人の向坂くじらさん。身近な言葉を捉え直すことで、見えてきたこととは。

向坂くじら 詩人

向坂くじら
向坂くじら

詩人。1994年、愛知県名古屋市生まれ。2016年、Gtクマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニット「Anti-Trench」を結成、ライブを中心に活動をおこなう。主な著書に詩集『とても小さな理解のための』、エッセイ『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』(百万年書房)など。2024年、初小説『いなくなくならなくならないで』が第171回芥川龍之介賞候補となる。執筆活動に加え、小学生から高校生までを対象とした私塾「国語教室ことぱ舎」の運営をおこなう。

ことばを定義することは、社会とコミュニケーションをとることに近い

向坂くじら 詩人 インタビュー

——新刊『ことぱの観察』の前書きに「定義は、世界とコミュニケーションをとろうとする試みである」と書いていらっしゃいます。このように思ったきっかけを教えてください。

向坂さん:言葉について考えてみたいと思って、この書籍のもととなる連載を始めました。実際に初めてみたところ、ひとつひとつの言葉について考えていくためには、実際に世の中に起こっている事象とか、まわりの人がどのように暮らしているのかなどを考える必要があることに気づきました。

そういった道筋を通るやり方でしか、私は言葉について考えることができなかったんです。つまり、言葉のことを考えるというのは私にとって、そのまま世界のことを考えるということでした。

連載の体裁上、必ず最後に取り上げた言葉についての答えというか定義を示す必要があったので、それこそが世界に向かって「私にはこう思えたんですが、どうですか?」という、投げかけをしている感覚でした。定義を通して、社会とコミュニケーションをとっている感覚です。

——普段使っている言葉について思いをめぐらせていくことが、社会とコミュニケーションをとることにつながっていくわけですね。実際、他人とコミュニケーションを円滑に進めるうえで、定義を考えることは有効ですか?

向坂さん:会社の会議などで、議題にあがった言葉のひとつひとつの定義を考えていたら、円滑には進まないでしょうね。それこそコミュニケーションがないがしろになってしまうかもしれません。私はこの本を書いたことにより、作中にも出てくる友人からすっかり「定義厨」と呼ばれるようになってしまいました(笑)。

——生活のパートナーなど、お互いをもっと理解したいと思っていることが共通認識になっている関係性ではどうでしょうか。

向坂さん:やはり、言葉の定義をその都度確認し合うのは円滑な会話とはいえないと言いましたが、お互いの発する言葉の意味を深く理解したいと思える関係は素敵ですよね。

向坂くじら 詩人 ポートレート

他人のことはわからない。悩みすぎずに開き直ってみる

——「愛する」の章で「夫と自分を間違える」「夫を愛するほどに、わたしは他人である夫を、その他者性を尊重しそこないそうになる」とあります。向坂さんは、他者の感情を自分のものにしないために、どのような意識を心がけていますか?

向坂さん:都合の悪いことに対して「そんなこともあるよね」とおおらかな気持ちで受け入れていこうと、自分に言い聞かせています。他人のことなので、こちらがいくら悩んでもわからないものはわからない。わからないことは、わからないものとして付き合うようにしています。

不快な感情に反射的に対応していったら、その不快に耐えられなくなってしまいます。開き直ることが大事。後になればたいていのことはどうでもいいことなので。

向坂くじら 詩人 ことぱの観察

絶対に自分がいないといけない場所を作ってみる

——生きづらさを感じている方が近くにいたら、どんな声がけをしますか?

向坂さん:私自身、過去の人たちが書いたものに励まされながら孤独な思春期を過ごしてきたからこそ、自分の書いたものが本として残り、未来に向かっていくのはうれしいです。

でも、それは読書習慣がある人にしか伝わっていかない。だからこそ、子どもたちに国語を教えたり、ライブをしたりしているのかもしれません。私の場合、家に篭って詩や小説を書くだけでは活力がなくなってしまうと思います。私にとって、教えることもライブ活動も必要なことで、それらをすることで「私」を補っています。

居場所をひとつに絞らず、たくさん用意しておくといいと思います。自分が絶対にいないといけない場所を作るのも有効です。他人とのかかわり合いを増やして、何かを請け負ってしまう。

誰かに頼りにされている感覚を持つと、心に余裕が生まれるはず。地域のボランティアから始めてもいいですよね。「自分のため」を超えたところでしか助からないものがあります。全部「自分のため」という生活は、維持するのも苦しいですよ。

『ことぱの観察』 向坂くじら/著 1,980円 NHK出版

『ことぱの観察』 向坂くじら/著 ¥1980(NHK出版) 

文芸の世界で最も注目を集める作家・向坂くじらが挑んだ、言葉の定義をめぐるエッセイ集。自身の考える言葉の定義を「ことぱ」と名づけ、さまざまな「ことぱ」を観察。他人や自分自身、そのあいだにある関係を観察した日々の、試行錯誤の記録。

撮影/松本直也 取材・文/高田真莉絵 構成/渋谷香菜子