ライター海渡理恵さんによる、音楽を入り口に世界を見つめる連載「世界は鳴っている」。世界中のアーティストから発信される、個人の内面や社会のムードを反映した音楽シーンの躍動をお届けします。現在進行形で世界各地から生まれている音楽に耳をすませて、自分や世の中の内側をのぞいてみませんか?

マックスリヒター

マックス・リヒターの『SLEEP』で生き方を見つめ直し、心をリセットする

“行きすぎた資本主義”や“不寛容な社会”と叫ばれるハイスピードかつ情報過多な現代に対抗するために、“睡眠”をテーマにした音楽を生み出したアーティストがいる。

これは激動の世界に捧げるパーソナルなララバイだ。いわば、スローライフ宣言なんだよ」。

クラシックとエレクトロニカを融合したポスト・クラシックの旗手、音楽家のMax Richter(マックス・リヒター)は、2015年にリリースした8時間にもおよぶ楽曲『SLEEP』についてこう語る。睡眠時の脳の状態を研究し、深い眠りへと誘い、心地よい目覚めの体験を届けるために制作された本作は、全世界で話題を呼び、2024年の今もなお愛され続けている。

マックス・リヒター 2

Photo/©Mike Terry
マックス・リヒターは、1966年、ドイツ・ハーメルンに生まれ、イングランド・ベッドフォードで育つ。エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学び、フィレンツェで現代音楽家のルチアーノ・ベリオに作曲を師事。2002年にデビューを果たす。ロンドン地下鉄テロ犠牲者を追悼した『インフラ』(2010)、ヴィヴァルディ《四季》全曲をリコンポーズ(再作曲)した『25%のヴィヴァルディ』(2012)、女性作家ヴァージニア・ウルフの生涯から着想を得た『3つの世界:ウルフ・ワークス』(2017)、さらには、世界人権宣言を取り入れた『VOICES』(2020)など、革新的かつ社会的メッセージが込められた話題作を次々と生んでいる。

「睡眠中も動いている心に向けた音楽とは?」という疑問が出発点となった『SLEEP』の制作は、リヒター自身が、ベストセラー『意識は傍観者である: 脳の知られざる営み』(早川書房)の著者、脳神経学者のデイヴィッド・イーグルマンに協力を依頼。彼のアドバイスにより、睡眠時の脳波と親和性の高い低周音波の反復するリズムで作られている。

リヒターは、この曲を夜通し演奏する、“眠ること”に重きを置いた前代未聞のコンサートを、ロサンゼルス野外のグランドパークや、シドニーのオペラハウス、アントワープの聖母大聖堂など、世界各地のシンボリックな場所で開催した。会場に並べられたベッドに横たわり、そのまま演奏を聴く——。寝ても、歩き回ることも自由なそのライブの裏側が、ドキュメンタリー映画「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」には収められている。

映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』予告編

この映画内でリヒターは、『SLEEP』について
夢の中のような空間で聴くための音楽だ。睡眠状態の心と対話するための音楽ともいえる」と語り、また、
生活は日々、慌ただしくなる。 “昔より穏やかだ”と言う人はいない。あらゆる物事が休まず前進する。それが現代の生活だ。 加速し続ける。 (中略)企業には好都合かもしれないが、個人にもそうだろうか? だから無言の抗議の意味を込め、この作品を作った。現状を再検討するためだ。少しの間、慌ただしく流れる日常から離れて見つめ直す機会を与えたい」と明かす。

この言葉のとおり、彼の生み出した『SLEEP』は、情報や人など、常に何かにアクセスした状態から私たちを切り離ししてくれる力を持つ。そして、まるで宇宙空間にいるような感覚に陥る音楽が、不安や緊張などで波打つ心を穏やかに整えてくれる。

そんな彼が、世界睡眠デーの(2024年)3月15日に、『SLEEP』から編まれた3つのピアノアレンジを、自身の演奏で録音した『SLEEP:Piano Edition』をリリースするというニュース。温もりが加わったサウンドが心地いい本作を聴いて、今月は、自分以外と距離を置いてみる。安眠という名の内省のときを過ごしてみてはどうだろうか。

Max Richter - SLEEP: Non-eternal (song) [Piano Short Edit] Visualizer

最新EP『SLEEP:Piano Edition』をチェック

マックス・リヒター『SLEEP piano edition』

マックス・リヒター『SLEEP:Piano Edition』 3月15日配信/ユニバーサル ミュージック

取材・文/海渡理恵