犬や猫、うさぎや鳥など、ちいさな家族と暮らしていると見聞きすることの多い「ペットロス」という言葉。いつか訪れるその日のことを、私たちはどう受け止めればいいのでしょうか。ペットと飼い主の心に寄り添う「動物医療グリーフケア®︎」の第一人者である獣医師の阿部美奈子先生にお話を伺いました。

阿部美奈子先生

獣医師、動物医療グリーフケアアドバイザー

阿部美奈子先生

Always代表。「ペットと人のハッピーライフを出会いからエンディングまで」を合言葉に、「待合室診療」というこれまでにない診療スタイルを発掘。自らが構築した「動物医療グリーフケア®」を展開している。ペットロスカウンセリングも行いながら、飼い主とともに連携し、ペットが生きている間に取り入れるグリーフケアの大切さを提唱。「病気」ではなく「病気のペット」を癒す動物医療を目指し、個々に違うペットに対し「〇〇ちゃん主役」のオンリーワン医療を提供している。マレーシア在住。

「ペットロス」と「グリーフケア」はどう違う?

ペットロス グリーフケア 阿部美奈子-1

――そもそもの話になりますが、「グリーフケア」と「ペットロス」は何が違うのでしょうか。

阿部先生 「ペットロス」とは、愛するペットとの別れによって生まれる「グリーフ」のひとつで、「グリーフ」とは、直訳すると「悲嘆」を意味する言葉。自分にとって「大切なもの」を喪失する、あるいは喪失するかもしれないとき、誰にでも表れる心と体の自然な反応です。

「大切なもの」の対象は下記のように人によってさまざまですが、特にペットと暮らす人は、その日常が宝物であるために、ペットのケガや病気、入院、別れというシーンで大きなグリーフが起こりうるのです。

グリーフの対象となる「大切なもの」の一例
●人…家族、親友や仲間、恋人など
●ペット…病気やケガ、入院、治療、事故、別れなど
●尊厳…食べる、動く、寝る、トイレの自由など
●場所…家、学校、会社、好きな店など
●環境…自然や社会など
●モノ…手紙、お守り、ぬいぐるみ、貯金など
●気持ちや役割…仕事、趣味、ペットの世話、地位、成績、プライド、目的、自信、期待、信頼など
●自己理想像…ありのままの自分、理想とする自分の姿など

――ペットに限らず、多くのことがグリーフの対象になるのですね。

阿部先生 そうなんです。これらのグリーフをケアしていくことが「グリーフケア」であり、一番の特徴は、喪失後だけでなく、一緒に暮らしている今から実践できるケアだということです。

ペットロスを防ぐことはできる?

ペットロス グリーフケア 阿部美奈子-2

――大切なものを失うかもしれないと感じたときにケアできるのであれば、ペットロスを防ぐことにもつながるのでしょうか?

阿部先生 長引かせない工夫にはなりうると思いますが、ペットロス自体は愛する家族を失ったことへの自然な心の動きなので、ゼロにはできません。その存在が大きいほどグリーフは深く、強く、さまざまな形であふれてきます。「大切なあの子にもう一度会いたい」からこその反応であると同時に、心がダメージから回復していくための大切なプロセスでもあるのです。

――心がダメージから回復していくには、どのようなプロセスが必要なのでしょうか。

阿部先生 グリーフを感じた私たちの心は、「衝撃期」から「再生期」までの4つの段階を行ったり来たりしながら、少しずつ回復へと向かっていきます。

1:現実を受け入れられない「衝撃期」
頭ではわかっていても、「死」という現実に心が追いつかない時期。頭がぼんやりして何も思い浮かばない、何も感じないといった状態になりやすいが、それは心がこれ以上壊れないように現実逃避して麻痺させることで、ショックに耐えながら自分を守っている証。

◆「衝撃期」に周囲が気をつけるべきこと
心を守るための大切な時間なので、無理に現実と向き合わせないこと。「もう会えないなんて信じられないよね」「涙が出るのは当たり前だよ」とペットとの絆やグリーフを理解し、受け止めて。温かい飲みものや、ちょっと口に入れられるものを用意して見守るのがベスト。

2:ネガティブな気持ちが表れる「悲痛期」
少しずつ考える力が生まれ、振り返って過去を見る勇気が生まれてくる時期。その一方で、「あのとき○○しておけば…」といった後悔や自責、他責などネガティブな気持ちが湧き上がりやすい。衝撃期と悲痛期を行き来しながら、死の原因を自分なりに整理し、現実を受け入れるための、苦しくも大事なプロセス。

◆「悲痛期」に周囲が気をつけるべきこと
見守る側もつらくなり、つい「○○ちゃんは、わかってくれているよ」「そんなことないよ」と励ましの声がけをしてしまいがち。励まして悲しみや苦しみを“取り去る”のではなく、当事者が背負う大きな痛みを肯定することが大事。当事者は共感が得られないと後悔や孤独を抱えてしまうので、ペットロスの長期化にもつながりやすい。

3:心が現実を受け入れる「回復期」
ようやく「死」という現実を心が受けとめ、認めることができる時期。後悔は残るものの、一緒に楽しく暮らした時間などを思い出せるようになり、ポジティブな思考が生まれてくる。出会って一緒に生きた幸せな時間があったから今の自分がいる、と気づけるタイミング。

4:回復を一歩前進させる「再生期」
喪失というグリーフによってできた心の傷を受け止め、自分のペースで新しい未来を考えたり、歩き出したりできる時期。ペットの姿は見えなくても、これからは心を支えてくれるパートナーとして一緒に歩いていく“セカンドライフ”のはじまり。

――衝撃期と悲痛期に注意すべき対応は、やってしまっていたかも…とドキッとしました。

阿部先生 本人に不安定な言動が表れると、まわりは「大丈夫かな…」と心配して早く終わらせようとしたり、外に連れ出したりするけれど、実は逆効果になるケースがほとんど。「ペットロス」と聞くと、まるで病気のように感じてしまう人も多いのですが、健全な心の反応だと知っておくことがとても大切です。グリーフを知ることは、お互いを助け合うときに正しくケアできることにもつながりますから。

ちいさな家族のためにできるグリーフケア

ペットロス グリーフケア 阿部美奈子-3

――最初に「グリーフケアは、ペットと暮らしているときから実践できる」というお話がありましたが、具体的にはどんなことを心がければいいのでしょう?

阿部先生 動物たちは、人と出会うことで「ペット」になります。彼らにとって最も大事なのは、安心して自分らしく暮らせる「安全基地」があること。その安全基地をつくり、守ることが、私たち人間にできる最大のグリーフケアです。そして、元気なときも、病気になったときも、最期のエンディングが近づいているときも、「この子」を主役に選択していくことが大きなポイントになります。

――ちいさな家族にとっての安全基地を守る。確かに人間にしかできない大切なケアです

阿部先生 病気や体調不良を抱えることは罪ではないし、ペットのせいでもありません。いつものように暮らしていて、たまたま病気になっただけ。だから、不安を感じさせることなく最期の日まで堂々と、自信を持って生きられるようにサポートする気持ちで向き合ってほしいと思います。人間にとっても、グリーフケアを通じて向き合っていくことは、長く深いペットロスを避ける最大の鍵になります。

――向き合うべきは今、目の前にいる「この子」ということですね。

阿部先生 そのとおりです。大事なのは、自分がいちばんよく知っている「この子」が、いつもの日常を安心して続けられるために必要なことを考え、応援すること。その積み重ねが深い信頼につながり、彼らは安心して生ききることができます。それこそが、お互いにとってのハッピーエンディングなのだと思います。

阿部先生が考案した、ちいさな家族との絆を深める一冊

阿部美奈子 犬 グリーフケア ペットロス 本

『犬と私の交換日記』阿部美奈子 著、リサ・ラーソン 画 ¥1,320/二見書房

阿部先生が考案した50の質問に答えながら、いつか訪れる愛犬の「発病」や「ペットロス」などのグリーフも笑顔で乗り越える力を身につけることができる。犬と暮らしている人にも、これから犬を迎える人にも、すでに見送った人にも、愛犬との絆をつなぐ宝物となる一冊。

阿部美奈子 猫 グリーフケア ペットロス 本

『猫と私の交換日記』阿部美奈子 著、リサ・ラーソン 画 ¥1,320/二見書房

飼い主や動物医療関係者からのリクエストにこたえて発行された猫バージョン。阿部先生が考案した50の質問に答えながら、愛猫と飼い主の心をつなぎ、グリーフを笑顔で乗り越える力を身につけられる一冊。

イラスト/松尾ミユキ 取材・文/国分美由紀 編集/高井佳子(yoi)