ストレスがたまったとき、心が折れそうなとき、あなたは何をしますか? 「思いっきり泣く」「誰かに相談する」「ヨガで体を動かす」……。人間には生まれつき回復力が備わっていて、得意な回復の方法は人それぞれ。自分自身の中にある「強み」に焦点を当て、それを引き出し、回復していくためのストレスコーピング(ストレスに対処する方法)のモデルの一つに「BASIC Ph」があります。イスラエルで生まれたこの「BASIC Ph」がどのようなものかを、BASIC Ph JAPAN代表である臨床心理士・新井陽子さんに詳しくお聞きしました。

BASIC Ph

BASIC Ph JAPAN代表

新井陽子

臨床心理士、公認心理師。BASIC Ph JAPAN代表。日本EMDR学会所属。公益社団法人被害者支援都民センター勤務。東日本大震災の復興支援に関わり、その際にBASIC Phとその提唱者・ムーリ・ラハド博士と出会う。

BASIC Phとは?

――そもそも「BASIC Ph」とは、どのようなものなのでしょうか?

新井さん:人は困難(ストレス)に出遭ったとき、さまざまな方法でその困難に立ち向かいます。その対処の仕方を6つに分類したのが「BASIC Ph」モデルです

「BASIC Ph」は、「Belief(信念)」「Affect(感情)」「Social(社会)」「Imagination(想像)」「Cognition(認知)」「Physiology(身体)」の頭文字から名付けられました

実は私達はストレスに対処するとき、この6チャンネルのいくつかを組み合わせて使っています。自分の得意なチャンネルを知ることで、より「回復力」を高めることができますし、ストレスにぶつかったときにより適切に対処し、早く回復することができます

例えば、『マッチ売りの少女』の物語をご存じですか?少女は凍える冬の夜に、マッチを売っています。あまりに寒くひもじい少女は、ついに売り物のマッチを擦って暖をとろうとします。そのマッチの炎のなかに、暖かいストーブや優しいおばあさんの姿を見て少し幸せな気持ちになりました。翌朝、少女は亡くなるのですが、その表情は穏やかな笑みを浮かべていたといいます。つまり、彼女はそのマッチを擦った短い時間、たとえそれが数秒間であっても、「Imagination(想像)」の力を使ってその瞬間を生き延びたということなのです

「BASIC Ph」は、長く生き延びるだけでなく、その瞬間を生き延びるために、人はどんなことをするのかに着目して作られたモデルなのです。


――「BASIC Ph」の6つのチャンネルについて、それぞれ教えてください。

新井さん:6つのチャンネルについて簡単に解説しますね。具体的にはこちらの記事で詳しくご説明します。ここではざっくりと6つのチャンネルのイメージをつかんでもらえればOKです。

また、基本的に人間はこの6つのチャンネルをすべて使えることも、先にお伝えしておきます。その中に、得意不得意があり、得意な2〜3つのチャンネルを同時に使っていることが多いです。

BASIC Ph マッチの火

BASIC Phの6つのチャンネル

Belief(信念)

信念、価値、宗教、伝統などに基づいた対処。自分の信念や考え方、また自分自身の価値を信じることで対処し回復するチャンネルです。宗教または伝統的な考え方を心の支えにすることも含まれます。逆に「諦める」といった思考をやめることも、「Belief(信念)」に当たります。

Affect(感情)

泣く、怒る、笑うなど感情を表現し、発散することで対処するチャンネルです。アートや音楽などを使って表出することもありますし、映画を見て涙を流すことも含まれます。気持ちを表現する一方で、感情や感覚の回路をオフにして、何も感じない「麻痺」の状態で困難に対応することも「Affect(感情)」のチャンネルを使って対処しているといえます。

Social(社会)

人や社会とのつながりを使うチャンネルです。誰かに相談したり、同じ悩みを抱える人と交流する、社会的役割を担う等で心を支えます。逆に人との距離を取って心を休ませることも、含まれます。

Imagination(想像)

想像力を用いてストレスを乗り越えるチャンネルです。イマジネーションの力を使って、事象の見方を変える力があります。空想することはもちろん、映画やマンガ、ゲームなどのファンタジー世界に没頭することも含まれます。また、クリエイティブなことをしたり、誰かのクリエイティブな作品を鑑賞することも含まれます。

Cognition(認知)

認知は情報を収集する、整理する、優先順位をつける、戦略を練るというような、問題解決に向けてより実用的なことを行うことで対処するチャンネルです。多くの大人が得意としています。

Physiology(身体)

身体にアプローチすることでストレス発散をするチャンネルです。「身体を動かす」という健康的な運動もそうですが、「お酒を飲む」「タバコを吸う」というような、摂取することで身体に変化が起こるようなものも、「Physiology(身体)」のチャンネルに含まれます。ストレスが発熱や腹痛など身体症状として出てしまう人も身体のチャンネルを使って対処していると考えます。

新井さん:「BASIC Ph」は、一見ネガティブに思えるような対処法も、その人が使えるチャンネルの一部としてとらえます。「BASIC Ph」は、どんな対処法も否定しないことが特徴です。

「BASIC Ph」はイスラエルで生まれた

――様々なチャンネルがあり、たしかにいずれかを使ってストレスに対処している気がします。ところで、この「BASIC Ph」はどうやって生まれたのでしょうか。

新井さんBASIC Phモデルは、イスラエルの心理学者、ムーリ・ラハド博士(以下ムーリー先生)によって、2004年頃に発表されました

ムーリー先生は、1982年にイスラエル北部にCommunity Stress Prevention Center(地域社会ストレス予防センター)を立ち上げました。当時、イスラエルはレバノンやシリアとの紛争を抱えており、多くの市民が心身に傷を負っていたので、支援する拠点が必要でした。これまで、ムーリー先生は、長い間トラウマを体験した人を支援してきていて、その活動は、イスラエルだけでなく世界中で行われてきました。

その中で、とても大切なことに気づいたのです。それは、「トラウマを体験した人すべてがPTSDになるわけではない」ということです

約8割の人は、トラウマを体験した後、自然に回復していくことがわかっています。現代の治療モデルは、病理モデルといって病理に着目することが多いのですが、ムーリー先生は、「人はどのように回復していくのか」と言う人が持つ回復力や健康に生きる力に着目していきました。その健康生成モデルの研究の中から生まれたのが「BASIC Phモデル」です


――人の持つ回復する力を研究する中で生まれたモデルなのですね。それでは、「BASIC Ph」はどのようにして日本に入ってきたのでしょうか。

新井さん:2011年の東日本大震災後、私は復興支援に携わっていました。2012年に、私が所属する学会にイスラエルから支援の連絡があったのが始まりです。彼らは、日本の復興支援を援助したいと無償で申し入れしてくれました。彼らとミーティングを重ね、その後、日本各地で支援者を対象にワークショップを協働開催していくなかで「BASIC Phモデル」が初めて紹介されたんです。

私にとって、ムーリー先生が語る「人が持つ強みに着目する」視点がとても画期的で、希望を感じることができました。ですから、多くの人に知ってもらいたいと思い、ムーリー先生との活動が始まったのです。

BASIC Ph イスラエル

大きな困難だけでなく小さなストレスにも使ってOK!

――大きな災害や紛争などといった重篤なトラウマ体験以外でもBASIC Phを活用することができるのでしょうか? 「BASIC Ph」は日々のストレス、例えば「仕事でちょっと失敗しちゃった!」みたいな、小さなストレスにも使っていいものなのでしょうか。

新井さん:もちろんです! 「BASIC Ph」は日常のストレスや、日々のコミュニケーション、日々の業務の中でも役立てることができます。ストレスコーピングはもちろんですし、コミュニケーションにも使えますよ

―――コミュニケーションにも使えるんですか。どうやって活用したらいいんでしょう。

新井さんどんなふうに語るのかという視点で眺めると、その人の得意なチャンネルが浮かび上がってきます。なぜなら人は自分の得意なチャンネルを使って会話することが多いからです

例えばある人が事故にあったとします。もし、その人が「こわかった! 本当にこわかったよー!」と伝えるなら、まず最初に感情を表出しています。なので、この人は「Affect(感情)」が得意なのかなと推測することができます。次に「◯◯交差点で右折しようとしていたときに事故にあいました。こちらが優先道路を走っていました」とまず最初に事実関係を話そうとする人は「Cognition(認知)」のチャンネルが得意な人と言えるかもしれません。このように、無意識にその人が得意なチャンネルで、出来事を表現しようとするものなのです。

人間関係にすれ違いが起きるときがありますよね。そのようなとき、実はそれぞれの人の得意なチャンネルが異なっていることによって、すれ違いが起きていることもあるんですよ。なので、「相手がどのチャンネルが得意な人なのか」を見極めることも、コミュニケーションに役立ちます

例えば、こんなコミュニケーションのすれ違いはありませんか? 妻はその日にあった大変だった出来事を夫に話して、「そうか、それは大変だったね」と労ってほしい。つまり感情のチャンネルで話を始めたのですが、夫は「そうか、その場合は、まず◯◯をして、次に△△をして」と具体的な対処方法を提案しようとします。すると妻は「あなたにそんなことを言われなくてもわかっているのよ」と感情的に怒り出したりします。

何が起きているのかを「BASIC Ph」を使って分析してみると、妻は「感情」のチャンネルを使って、自身のストレスを対処しようとしていたのですが、夫は「認知」のチャンネルを使って、その問題を対処しようとしていたのです。つまり、チャンネルが違っていたために生じたすれ違いだったのですね。もしこの夫が最初に一言、「それは大変だったね、よく頑張ったね」と労いの言葉を一言かけていたら、状況は違っていたと思います。こんなふうに、相手のチャンネルを理解することもコミュニケーションで役立つのです。

さらに、仕事の場面でも「BASIC Ph」は役に立ちますよ。例えば相手が上司なら、「認知のチャンネルが得意そうだから、わかりやすく情報を伝えよう」とか、「ソーシャルのチャンネルをよく使う人だから飲み会を開いて仲良くなろう」とか、うまくいくコミュニケーションの方法を考えるヒントになり、それは武器になるはずです。まずは自分のタイプから、知ってみましょう!

参考文献:『緊急支援のためのBASIC Phアプローチ――レジリエンスを引き出す6つの対処チャンネル』(遠見書房)ムーリ・ラハド,ミリ・シャシャム,オフラ・アヤロン 編
佐野信也,立花正一 監訳
新井陽子 角田智哉 濱田智子 水馬裕子 丸田眞由子 岡田太陽 柳井由美 訳

取材・文/東美希 イラスト・企画・構成/木村美紀