生きていく上で大切な「セルフケア」。私たちが生きていく上で最も酷使しているといえる「脳」もセルフケアできるのでしょうか? そして、脳にとってよい状態とは、どのようなことを指すのでしょうか? 脳科学者の毛内拡先生にお話を伺いました。
脳のセルフケアは「脳がベストパフォーマンスを発揮できる」ことを目指して
――まずお聞きしたいのは、「脳をセルフケアする」「脳を喜ばせる」というのは、どのようなことを指しているのか、という点です。心身の話だとなんとなくイメージできるのですが脳だと一体どのような状態にすることが「セルフケア」「喜ばせる」なのでしょうか?
毛内先生:端的に言うと、どちらも「ベストパフォーマンスを発揮できるように整える」ことだと思います。
「脳は10%しか使われていない」。この言葉を聞いたことがある方は多いと思います。でも、実は間違った認識なんですよ。脳は「ニューロン」という細胞で信号を伝達しています。かつては、そのニューロンが脳の細胞の全体の10%くらいで、残りの90%は「グリア細胞」というものだと考えられていて、グリア細胞は脳の隙間を埋めているただのパテのような役に立たない存在だと思われていたんですね。なので「脳は10%しか使われていない」と言われていたんです。
けれど、最近の研究でそのグリア細胞が実は脳の約半分を占めていて、とても大事な働きをしていることがわかってきました。グリア細胞は、主に「ミクログリア」「オリゴデンドロサイト」「アストロサイト」の3つから構成されています。まず、ミクログリアは、脳内をパトロールしていて、脳に侵入した異物を検知して排除したり、不要になった脳細胞を食べたりしている細胞です。脳の「免疫担当」と言ってもいいかもしれません。
そして、オリゴデンドロサイトはニューロンの伝達速度を速める役割。ニューロンは単体だと時速4km、人間が歩くほどの速さしか出せません。けれど、オリゴデンドロサイトが巻き付くことにより時速400km、新幹線くらいまで速度を上げられます。
最後にアストロサイト。ニューロンが撒き散らす老廃物を片付けて、脳をきれいな状態に戻してくれる細胞です。ニューロンは、ど派手に動きっぱなしの細胞で、片付けはしないんですよ(笑)。さらに、ニューロンに栄養を渡す役割も持っています。ニューロンは自分でエネルギーをとってくることができません。なのでアストロサイトが血管からブドウ糖をとってきて、ニューロンに渡しています。
人間に例えると、仕事をする場所の掃除をし、処理スピードをぐんと上げ、食事を準備をして渡す。それがグリア細胞の役割です。保護者やマネージャーのような存在ですね。なので、「ベストパフォーマンスを発揮できるように整える」ためには、このグリア細胞の活性化を促してあげるといいんです。
ちなみに僕はこの「グリア細胞」の中のアストロサイトについての研究をしています。
脳細胞が活性化すると、ネガティブ思考→クリエイティブ思考に変化
――では、アストロサイトをはじめとするグリア細胞がうまく働いている状態(=脳がベストパフォーマンスを発揮している状態)とは、具体的にどういうときなのでしょうか?
毛内先生:いい質問です! まず、逆の「ベストパフォーマンスを発揮できていない状態」から説明します。それはグリア細胞の働きが悪く、脳は老廃物まみれで栄養補給もままならない状態です。この状態が「脳が疲れている」と言われる状態ですね。悪い環境の中で脳を動かすことで、さらに脳が疲れていく。脳に疲労がたまるとどうなるかというと、できるだけ思考をショートカットしようとします。そのほうが楽だからです。
特に何もせず、ぼーっとしているときでも脳は働いています。このとき働く脳の部位をまとめて「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼びますが、この領域は、反省や将来の計画など自分に関する情報を処理しています。しかし、脳が疲労していると、過去への後悔や未来への不安ばかり考えてしまう、ぐるぐる思考に陥ります。現在の目の前にある、解決可能な問題に目が向かなくなるんです。「もう全部だめだ」と、全部まとめてネガティブに考えるほうが、脳の動きとしては楽ですからね。
逆に、脳が健康であれば、「デフォルト・モード・ネットワーク」は、反省から学習したり、明るい未来を描いたりするクリエイティブな状態になります。「お風呂でぼーっとしているときに、素晴らしいアイデアが浮かんだ」なんて話もよくあると思いますが、これも実は「デフォルト・モード・ネットワーク」の働きです。
脳内の環境をよくすること、脳の細胞を活性化させることが、ベストパフォーマンスにつながる。そのためにできることが「脳のセルフケア」や「脳を喜ばせること」です。
3つの脳のネットワークを切り替えて、グリア細胞を活性化させよう
――「デフォルト・モード・ネットワーク」をぐるぐる思考からクリエイティブな状態へ変化させるにはどうすればよいのでしょうか?
毛内先生:脳には「デフォルト・モード・ネットワーク」の他に、2つのネットワークがあります。まずは「セイリエンス・ネットワーク」。これは外からの情報に気づくためのものですね。大きい音が鳴ったとか、行ったことない場所に行くとか、「新奇体験」に気づくモード。何かが起きるとまず「デフォルト・モード・ネットワーク」から脱出し、「セイリエンス・ネットワーク」に入ります。
その後、もうひとつのネットワークである「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」に切り替わります。これは、目の前にある問題の解決や合理的思考をするためのモードです。「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」に入ると脳はフル稼働し、ニューロンもグリア細胞も活発化します。
旅行なんかがいい例ですね。「デフォルト・モード・ネットワーク」でぐるぐる思考に困っているときに、旅に出る。いつもとは違う場所に行くと、まず「セイリエンス・ネットワーク」に切り替わります。その後、旅を充実させるために「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」に入り、目の前にある具体的な事柄について考えたり、思いもかけない問題解決法を思いついたりするでしょう。
そうやって脳を1回切り替えると、脳疲労が回復しているので、「デフォルト・モード・ネットワーク」に戻っても、脳の環境は良い状態のままなんです。「デフォルトモード・ネットワーク」が使われない時間、つまりぐるぐる思考をやめる時間が生まれたことで、脳が休まっているんですね。なので、クリエイティブな考えが生まれてくるよいほうの「デフォルト・モード・ネットワーク」を使えるようになる。旅行から帰宅したあとは、他のことについてもよい問題解決法を思つくでしょうし、ぼーっとするときの考え事も、きっとクリエイティブなものになるでしょう。
つまり、最初の問いに簡単にお答えすると、「新奇性のあることを始め、脳のネットワークを切り替えることで、脳を活性化させる」ということです。
脳の炎症と体の炎症はリンクしている!?
――「セルフケア」と聞くと、つい「休ませる」方向で考えてしまいがちですが、脳では動かすことがセルフケアにつながるのですね。
毛内先生:休ませることも、もちろん大事ではあります。この記事を読んだ皆さんに絶対に覚えていて欲しいのは、「脳も臓器である」ということです。胃や腸と同じ臓器なので、酷使すれば当たり前のように不調になります。暴飲暴食で胃腸炎になるのと同じです。
しかも、グリア細胞は炎症にかなり敏感なんですよ。脳の炎症と聞くと一大事に聞こえますが、「数日安静にしていたら元に戻った」みたいな、胃や腸で起きるような軽い炎症もあるんです。普通に脳が軽く腫れます。
脳の炎症は睡眠不足やストレスなどによって起きます。ということは、おそらく脳の働きの結果である心身にも不調が現れるでしょう。つまり、「なんか体や心の調子が悪いな」と感じたら体を休ませる。これが脳の炎症をおさえるいちばんの方法なんです。
さらに最近の研究では、体で起きている炎症が脳に届く……なんて話も出ています。脳を健康に保ちたいなら、体の不調をしっかりケアしてください。それが脳のケアにもなりますから。
人生100年時代、「加齢しても老化させない」ために挑戦を続けよう
――最後に、これから何十年と生きる中で、できるだけ脳を健康に保つための方法をお聞きしたいです。人生100年時代、「いくつになっても柔軟に物事を楽しみたい」「認知症を予防したい」と考えるなら、どうすればいいのでしょうか?
毛内先生:まず、「加齢」と「老化」は別物だと私は考えています。「寄る年波には勝てない」なんてことはありません。たまに、60代から何かを始めて優勝しちゃうおばあちゃんとかいるじゃないですか。あれって「加齢」はしていても「老化」はしていない方だと思うんです。
そのためには、新しいことにチャレンジし続けること。新奇性のある体験を続けること。マンネリにならないようにすることです。
「加齢」はしても「老化」はさせない。そんな脳の使い方を心がけてください。
取材・文/東美希 企画・構成・イラスト/木村美紀(yoi)