できれば抱きたくない、隠しておきたい。なのに、どうしても心の中に生まれてしまう感情、「嫉妬」。その嫉妬と密接に結びつく「自慢」について、新書『嫉妬論』を執筆された山本先生に取材。自慢が生まれる仕組みから、「自慢と思われるのが怖くて自分のことが話せない」という身近なお悩みへのアドバイスまでお聞きしました。
立命館大学法学部准教授
1981年生まれ。立命館大学法学部准教授。専門分野は政治思想史、現代政治理論。嫉妬という感情を古典や生活、政治主義などのあらゆる方面から分析した新書『嫉妬論』(光文社)を執筆。その他の書籍に『不審者のデモクラシー』(岩波書店)、『現代民主主義』(中公新書)など。
嫉妬論/山本圭(光文社新書)
自慢するための「他者」がいて、欲望は初めて満たされる
——前編では「嫉妬」についてお話をお伺いしました。嫉妬してしまう理由として、“自慢されたから”ということは多いと思います。嫉妬と自慢は強く結びついているように感じるのですが、山本先生はどのようにお考えですか。
山本先生 そうですね。嫉妬と自慢の関係について、ルネ・ジラールという哲学者に興味深い考え方があります。それは「欲望の三角形」という概念です。この考えでは、欲望の仕組みを三角形で表現します。三角形の頂点を占めるのは「自分」「対象」、そして「他者」です。対象とは欲望の対象、つまり欲しいものです。欲望というと、自分と対象だけの関係のように思われがちですが、実はそこに「他者」が関与するというのがポイントです。
例えば、欲しいバッグがあるとしましょう。それは単に「私が欲しい」というだけではない。ジラールは、「誰かが持っているあのバッグを私も欲しい」という嫉妬によって欲望が発生すると論じています。「私が欲しいバッグをあの人が持っている」ではなく、「あの人が持っているバッグを私も欲しい」。つまり欲望より先に嫉妬がある、という順序なんです。嫉妬に刺激されて欲望が生じる、ということですね。
山本先生 そしてここからは私の持論です。誇示や自慢の構造もこの三角形でできているのではないか、と。「自分」が「対象」を手に入れたことを誇示できる「相手」がいて、初めて欲望が満たされる、そんな構造があると私は考えています。
バッグの例に戻すと、欲しかったバッグを手に入れただけでは私の欲望は満たされない。それを見て「いいなぁ」と言ってくれる人、または「いいでしょ」と自慢できる人がいて、やっと欲望は完結するとすればどうでしょうか。「誰かに嫉妬されるまで欲望は満たされない」という考え方ですね。
SNSは「万人が万人に対して自慢する状態」をつくっている
——SNSでよく“自慢”ととらえられている「これ買いました!」の報告や、その匂わせの投稿が止まらないのはそういう理由もあるのかもしれませんね。
山本先生 確かに、SNSを利用していると「自慢社会だなあ」と思うことがあります。研究者でも実名でSNSをやっている人が結構います。そこでは「自分の研究がどんな賞を取った」とか、「書籍や論文が出版された」など、さまざまな「誰かの欲望になりそうなこと」が発信されている。発表や宣伝などのアウトリーチが必要な立場なのである程度は仕方ないことなんですけど…。
一部の職業やインフルエンサーなどは宣伝や誇示が仕事なところもあるでしょうからそれは置いておくとしても、自然体で行っている人も少なくありません。高級なバッグが見切れている写真や、航空機のビジネスクラスや旅先での写真など、自分の生活や体験を見せるつけることで欲望を満たす投稿もあふれかえっています。
SNSによって、現在は「万人による万人に対する誇示状態」とも言える状態になってしまっている。直接、誰か一人に堂々と自慢をすることは難しいので、SNSは“自慢ツール”として利用されている面もあると思います。
どうしても自慢したい。そんなときは配慮とユーモアを忘れずに
——逆に、yoi読者からは「自慢ととらえられないか不安で自分の話ができない」というような悩みも届いています。出世や恋愛・結婚、ライフステージ、子どもの発育などについて、ただ報告したいだけなのに、伝えるのを躊躇してしまう人もいるようです。自分の幸福について人に話す際に、注意しておいたほうがよい点はありますか?
山本先生 僕の考えでは「嫉妬は恐れたほうがいい」が基本です。だから「言ったら自慢になるかな」と思うようなことは、できるなら言わないほうがいい。
それでも言いたいときはどうするか。プルタルコスというローマ帝国時代の歴史家がいるのですが、彼が称賛していた“妬みを生じさせないテクニック”が参考になるかもしれません。彼は<聴衆への称賛を極めて巧みに取り混ぜる>ことについて語っています。つまり、相手のことを褒めながら、自分のことを語るんです。例えば「先週こんなところに旅行に行ったんだけど、あなたがSNSにアップしていたホテルもすごく素敵だったね!」というように。
それから、ユーモアを混ぜるのも有効だと思います。例えば自分の子どもの進学先を自慢したいときには「うちの子は本当に優秀で…」ではなく、「勉強はできたとしてもそそっかしくて…」といった具合です。相手や表現の仕方を考えつつ、配慮とユーモアを加えながら、がポイントですね。
自慢も嫉妬もなくなることはない。「自慢や嫉妬に寛容な社会」を目指すのが最も平和
——逆に「自慢のような話をされたときにドロドロした感情を抱いてしまう」というストレートな悩みをもつ読者もいました。今後、自慢や嫉妬に振り回されないようにするには、どのように考え方を転換していけばいいのでしょうか?
山本先生 私の考えを率直に言うと、一人一人が、もっと自慢に優しく、寛容になってもいいんじゃないかと思います。そうすれば、社会全体もそれほどギスギスしなくなるのではないでしょうか。誰かの誇示は「あ、自慢したいんだな」くらいの感覚で、受け入れて、聞き流す。
また相手が羨ましく思うなら、正直に「いいなぁ〜」と言って、相手の欲望を尊重してあげる。寛容な方向へ向かうほうが、ちょっとした自慢や嫉妬にいきりたつ社会よりもきっとラクです。誇示も嫉妬も、欲望がある限り、手放せないものですからね。
イラスト/oyumi 取材・文/東美希 企画・構成/種谷美波(yoi)