2023年7月7日に「卵子凍結」を行ったフィギュアスケーターの小松原美里さん。採卵の結果や卵子凍結について発信する理由、そしてこれからのビジョンについて…ひとつひとつ言葉を選びながら、素直な思いを語ってくれました。
フィギュアスケート・アイスダンス選手
岡山県出身。小学4年生からフィギュアスケートを始める。2016年にティム・コレト(小松原 尊)選手とアイスダンスのカップルを結成し、2017年に結婚。同年に子宮ポリープが発覚し、滞在先のイタリアで手術を受ける。2018年から2021年まで全日本選手権4連覇を達成。2019年に練習中の転倒から脳しんとうを起こし、リハビリに努めた時期も。2022年には北京オリンピック代表に選出され、団体戦で銅メダルを獲得。私生活ではヴィーガンを取り入れ、地球環境にやさしい生活を心がけている。
手術の朝、頭をよぎったかすかな不安
──手術当日は、どんな気持ちで迎えられたのでしょうか。
前日の夜はまったく不安を感じなかったのに、いざ当日の朝を迎えてみると、全身麻酔への緊張から「大丈夫かな」とか「まさか…なんてことが起きたりしないよね」という思いが頭をよぎりました。実際の手術は30分ほどでスムーズに終わったみたいです。
【一般的な採卵・凍結方法】
経膣超音波で卵胞(卵子を保護する袋)の位置を確認しながら、細い針を腟経由で卵巣内にある卵胞に刺し、卵子を回収する。回収できた卵子は、特殊な液体にひたして-196℃の液体窒素のタンクで凍結・保存。
【卵子凍結にかかるコスト】
クリニックによって異なるが、小松原さんが受診した六本木レディースクリニックの場合、1回の採卵につき27〜33万円前後+初期費用(診察費、術前の採血代、周期調整用のピル代)と凍結費用(1個につき11000円)がかかる。2年目以降の凍結保存にかかる費用は個数によって年間4〜8万円ほど。
──採卵の結果はいかがでしたか。
診察では9個の卵子が育ちそうだというお話で、最終的に育った7個のうち6個が採れました。さらにその中から受精可能な状態の卵子(成熟卵子)を5個凍結しました。でも、凍結した卵子がすべて受精や着床できるわけではないから卵子の数は多いほうが安心だし、私はAMH値が低いうえに採卵できた数も平均より少ないので、もう1回もしくは2回ぐらいやっておいたほうがいいかなと思っていて。実際、先生からも「次の採卵も考えたほうがいいよ」とアドバイスをいただきました。
──トレーニングや競技と並行するとなると、体にかかる負担も気になるのでは?
アイススケートは体幹の筋肉を細かくコントロールするので、手術がどこまで影響するのか気になっていましたが、体への負担は想像の半分以下ぐらいでしたね。体幹に力が入るようになるまで少し時間はかかったものの、1週間後には結構ハードなトレーニングも普通にできたので、この感じなら年1回ぐらいで受診できそうだなって。
これから当事者になる人のために、発信を続けていく
──「私のための選択」とおっしゃっていた卵子凍結を終えた気持ちを聞かせていただけますか。
じつは、麻酔が切れたあとで特別に卵子凍結の作業を見せていただいたんです。卵子に付着した血液などを丁寧に取り除き、細心の注意を払って大切に扱われている様子を見ていたら、なんだか親戚が増えたような気分になったし、「親として出会ってあげたい」という気持ちが芽生えてきて、自分でも驚きました。同時に、「選手としてスケートに集中するぞ!」というわくわくした気持ちで新たな一歩を踏み出せた実感もあります。
──小松原さんはSNSを通じて、卵子凍結という選択について発信されていますが、あえてオープンにされたのはなぜでしょうか。
自分が当事者になったとき、あまりに情報が少なくて困ったり不安になったりしたことが一番の理由です。私の思いや卵子凍結という選択肢を誰かに押し付けるつもりはまったくなく、「当事者が自分の意思で選択できる社会になってほしい」という思いで発信しています。
Instagramで卵子凍結を発表したとき、DMで届いたメッセージのほとんどはポジティブなものでしたが、「卵子凍結ってことは、年をとってから代理出産してもらうってことですよね?」という声がいくつかあって。凍結した卵子を自分の体に戻すという選択肢が知られていないことにびっくりしたし、それぞれの理由で卵子凍結を選んだ当事者の方に対するバイアスがかかってしまうのでは…とも感じました。当事者のためにも、卵子凍結にまつわる基本的な知識や情報がもっと社会全体に浸透していけばいいなと思います。
自分を大切にすることは、相手を尊重すること
──選手仲間を含め、身近な人たちの反応はいかがでしたか。
年齢が近い年下の子から相談されたり、コーチの方が質問してくださったりして、情報をシェアし合っています。発表したことで「1年ぐらい不妊治療している」「ホルモン治療はしんどかった」など、それぞれのつらさや葛藤を話してくださる方もいて…みんな大変だからこそワンチームとして支え合いたいし、自分のあとに続く子たちが気持ち的にも環境的にも楽になればいいなと思います。
──お話を伺っていると、小松原さんは「自分」や「個」をとても大切にされていますよね。その感覚は昔からあったのでしょうか。
そう考えられるようになったのは、選手になってからですね。それまでは個を大切にするよりも「人様に迷惑をかけないように」という考えで育ってきたので、他人を大事にしすぎて自分の思いと向き合わずにきたところがあります。けれど、選手としてのレベルが上がるにつれて、人の意見を聞いているだけでは軸がぶれてしまうし、氷の上に乗るのは私自身だということに気づいてからは自分を大切にするようになりました。そして、自分を大切にするのであれば、相手の意見や考えも同じように尊重すべきだなと。若い頃から海外遠征などで人種差別を経験したことも、肌の色や生まれた国ではなく、“個”として向き合い、違いに優劣をつけないことを意識するきっかけになりました。
「小松原美里」としてのこれから
──2026年にオリンピックが開催されるミラノは、小松原さんにとって思い入れの深い場所だそうですね。
21歳から4年半暮らしたミラノは、パートナーのティムと出会った場所なんです。しかも、私たちが出会ったリンクが練習場になるかも?という話もあって。そして、2026年は一緒に滑り始めて10周年、自分にとっては競技人生25周年の節目にあたります。「競技を続けたい」と思えた目標であり、卵子凍結を考えるいいタイミングをつくってくれたオリンピックなので、1日1日を大切にしながら、その日に向けて練習を重ねていきます。
──さまざまな思いや経験を経て、“なりたい自分”のイメージに変化はありましたか?
アイススケート選手、両親の娘、一人の女性…自分の中にはいろいろな“私”のレインボーがあるのに、今までは、「選手の自分」と「それ以外の自分」をはっきりわけていたし、「いろいろなものを犠牲にしなければ結果が出せない」という思い込みがあったんです。特に、人生で初めてのオリンピックを終えた2022年は、「選手を続けるなら、うまくならないと意味がない」と自分を追い込み、ちいさなミスをしただけで演技もメンタルもボロボロに崩れてしまう時期がありました。
そのとき、メンタルトレーナーの先生が「ナイフを鋭く磨いて、アスリートとして強くなっていくのはいいけれど、それを自分に向けてしまうと傷つくだけ。もっとふさわしい使い方があるよね」という話をしてくださって。いまはスケートもプライベートも、自分の中にある思い込みや不安、諦めをひとつひとつ取り除いて、どんどん自由になろうとしているところです。
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取材・文/国分美由紀 撮影/岡本 俊 スタイリスト/平田雅子 ヘア&メイク/藤本 希