カリフォルニアに暮らすZ世代のライター、竹田ダニエルさん。この連載では、アメリカのZ世代的価値観と「心・体・性」にまつわるトレンドワードを切り口に、新しい世界が広がる内容をお届けします。第10回は有害なポジティブさ=「Toxic positivity(トキシック・ポジティビティ)」について。

竹田ダニエル Z世代 連載 Toxic positivity トキシックポジティビティ とは

竹田ダニエル

ライター

竹田ダニエル

1997年生まれ、カリフォルニア出身、在住。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストをつなげるエージェントとしても活躍する。2022年11月には、文芸誌『群像』(講談社BOOK倶楽部)での連載をまとめた初の著書『世界と私のA to Z』を刊行。そのほか、現在も多くのメディアで執筆中。

—— Vol.10 “Toxic positivity”——

“ポジティブでいなきゃいけない圧”の弊害

竹田ダニエル Z世代 連載 Toxic positivity トキシックポジティビティ とは 2

photo by Daniel Takeda

ダニエルさん:未曾有のパンデミックによって多くの人が不安を抱えやすくなった2020年頃から「『自分は助けを必要としている』と言えるようになろう」という動きがアメリカで広がりましたが、同時にそのなかで「toxic positivity」という言葉が注目されるようになりました。

——「Toxic positivity」とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか?

ダニエルさん「有害なポジティブさ」という意味で、さまざまな困難な状況に陥っている人に対して楽観的であることを過度に強いるなど、「ポジティブであることこそが最重要である」という社会的価値観のことを指します。

——楽観的なことはいいことのようにも思えるのですが、どうしてそこまで問題視されているのでしょうか?

ダニエルさん:もちろん、ポジティブであることを否定しているわけではありません。でも、人は誰しもつねにポジティブでいられるわけではないですよね。経済的に困難だったり、病気を抱えたり、愛する人を失ったり、ハードな労働環境に置かれたり。後悔や怒り、悲しみ、つらさ、喪失感といった精神的苦痛は誰でも味わうことがある。それなのに、いつでも「ポジティブでいなければならない」というプレッシャーを感じていると、ネガティブな感情に罪悪感を覚えてしまい、本当の気持ちを無視してしまうことになります。

——ネガティブな気持ちに蓋をせず、きちんと向き合ったほうがいいということでしょうか?

ダニエルさん:そうですね。例えばセラピーに行くと、ネガティブな気持ちを抱えることは悪いことだとは言われません。なぜなら、ネガティブな感情を抑圧し、否定することは不安や鬱、身体的な不調につながる可能性があると言われているからです。つまり、ネガティブな感情を含め、自分で自分の感情を受容することは精神的な健康を得るために必要なこと。「ポジティブでいなければ」と思い込んでいると、本当の気持ちに向き合えず根本的な解決に至りにくくなります。だから、「toxic positivity」は有害だと指摘されるようになったのです。

——過去に『ポジティブ病の国、アメリカ』(バーバラ・エーレンライク著)という本が出版されていたこともあるくらい、アメリカはプラス思考を強いられやすい社会だったのかなと思います。

ダニエルさん:楽観的、前向きであるほうがよいという先入観は根強いかもしれません。以前連載で、友人の話を聞くのをうまく断る「セラピースピーク」が流行っているという話をしましたが、基本的にネガティブな話は聞きたくないという人は多いと思います。愚痴や弱音を吐くと「バイブスが悪くなるから言わないで」とか、「そんなにつらかったら、お金を払ってセラピストに聞いてもらったら?」という人も。また、勇気を振り絞って親しい友人にネガティブな気持ちを吐露しても「どうして解決しようとしないの?」と強い口調で言われることもある。そうすると、なかなか本音が言えなくなってしまいますよね。

ハッピーでいなきゃいけないという無理強いや、社会的な圧力が過剰なレベル(トキシック)になると、相手を傷つけることにつながる。上司に怒られて落ち込んでいる人に向かって「いつまでもくよくよしないで、前を向こうよ!」とか、過酷な労働環境にいる人に対して、「この経験が将来きっとあなたの役に立つ日が来る!」と言うのは相手を思った励ましの言葉のようにも思いますが、その人の感情を否定していることになる。

言われた本人は自分の本当の感情を正直に語りにくくなり、ネガティブな感情を持ち続けていることは自分が選択したことで、不幸せな状況に陥ったのは自分の責任であると感じてしまい、さらに悪循環に陥る可能性があります。

苦しいときも笑顔でいることが“正義”ではない

竹田ダニエル Z世代 連載 Toxic positivity トキシックポジティビティ とは メンタルヘルス

ダニエルさん:本当はつらくて悲しいのに「いつまでもくよくよしていないで、前を向こう」という圧力は何の問題解決にもなりませんよね。感情を抑圧することで社会への苛立ちや不満が表出しにくくなり、本当に必要な根本解決のためのサポートから遠ざけてしまいます。

そして人から話を聞くときも、ネガティブな感情を受けとることを拒否すれば相手の本心を知ることはできません。本当の問題から目を反らせる言葉をかけるのではなく、落ち込んでいる人のネガティブな言葉を否定せず、傾聴することがまずは大事だと思います。

——「くよくよしないで前向きに」と言うことで相手にプレッシャーを与えていないか今一度考えたいですね。

ダニエルさん:そうですね。「Toxic positivity」が認識されはじめてからは、ポジティブ大国のアメリカでも、Z世代を中心とした若者の間では「絶望」の感情は当たり前のものとして存在していて、ネガティブであること自体が否定されにくくなってきているとも感じます。

少し前まで、SNSなどではセレブやインフルエンサーが完璧な姿や誰もが羨むような生活を切り取った写真をアップしていたけれども、最近は肌荒れの悩み、パートナーと別れて傷ついている様子やメンタルブレークダウンしている姿をリアルに映し出すようになってきました。エマ・チェンバレンのように自虐的なジョークを飛ばしたり、弱音を吐いたり、自分のネガティブな面もオープンにできる人に支持が集まるようになっています。




ダニエルさん:SNSで映し出される日常が「映え」「憧れ」といったものから、「自然体」「共感」に変化している。これはつまり、人間は常にポジティブなわけではないし、完璧なわけではないんだということをみんなが気づいていることの表れだと思います。もし「つねにポジティブでいなければならない」という考えを自分に課しているのなら、その考えを手放してみる。

“苦しい状況でも笑顔を絶やさず気丈に振る舞うのがいいこと”、と思い込むのではなく、“どんな人でもポジティブではいられないときがあり、ネガティブな感情を抱くことは当然である”。それを自分がまず認めることで、人に対しても寛容でいられるようになると思います。

画像デザイン/坪本瑞希 構成・取材・文/浦本真梨子 企画/種谷美波(yoi)