yoiクリエイターのくどうあやさんによる、展覧会レポート記事を公開! 今回訪れたのは、森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」。
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「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」をレポート!
「私の子ども時代は魔法を決して失わない、謎を決して失わない、ドラマを決して失わない」。そんな言葉から始まるブルジョワ展。20世紀を代表する最重要アーティストの一人、ルイーズ・ブルジョワの日本では27年ぶり、また国内最大規模の個展です。ブルジョワは自身の繊細な精神状態や、女性としての社会への疑問を感じさせる作品が特徴的で、思わず共感してしまうメッセージがちりばめられていました。
ルイーズ・ブルジョワ
自身が幼少期に経験した、複雑で、ときにトラウマ的な出来事をインスピレーションの源として作品を制作。記憶や感情を呼び起こすことで普遍的なモチーフへと昇華させ、希望と恐怖、不安と安らぎ、罪悪感と償い、緊張と解放といった相反する感情や心理状態を表現している。セクシュアリティやジェンダー、身体をモチーフにしたパフォーマンスや彫刻は、フェミニズムの文脈でも高く評価される。
文筆家でもあったブルジョワは、自身の複雑な感情や心理状態を文章として残しています。本展では、冒頭で紹介した言葉のように、ブルジョワが書き綴った言葉が展示室の壁面に掲げられています。
作品が精神を映す鏡となる
入り口を抜け目にするのは、中央の展示台に身体の一部を切り取って作られた作品群です。展示室ではこれらの周囲の壁面に、コンセプチュアルアーティスト、ジェニー・ホルツァーによる作品が投影されています。この作品は、制作当時に精神分析を受けていたブルジョワの夢日記を基にしています。
身体をモチーフにした作品を制作するアーティストは多数存在しますが、ブルジョワの作品は身体そのものへの関心よりも、身体を媒体とした別の側面への関心が強いと感じられました。初めはこの感覚がとても不思議に感じていたのですが、展示の先に進むにつれて、この感覚の正体が徐々に理解できるようになった気がします。
展覧会でもたびたび登場する、身体の断片を切り取った作品たちは、彼女の不安定な精神状態や精神の崩壊の象徴や兆候を表しているそうです。その精神的不安の要因のひとつが、母親の存在でした。
見放した母と自身の母性
「母親」はブルジョワを語る上で重要なキーワードです。彼女にとって母親は自身を認めてくれる大切な存在であるとともに、憤りの対象でもあります。タペストリー工場を営む父親は後継となる男の子が生まれることを望んでいたため、女の子であったブルジョワは「見返りのない子」と否定的な言葉を投げかけられて育ちます。母親はそんな父親に依存し、精神的に不安定になることも多々ありましたが、幼いブルジョワの芸術の才能を見出し、タペストリー工場でブルジョワに下書きの仕事を任せることもありました。
ブルジョワの父は家庭教師として雇っていた女性と不倫関係に陥り、母親をベッドから追い出して不倫相手の女性を招き入れて暮らし始めます。ブルジョワは不倫を知りつつも抵抗しない母の姿に精神的な苦痛を感じていました。傲慢な父と不倫相手の女性と共に暮らすことがどれほどストレスになるのか、家が決して安心できる場所ではなかったことが想像できます。
体の弱かった母親はスペイン風邪の長期合併症に悩まされ、ブルジョワはヤングケアラーとして精力的に看病を続けますが、彼女が20歳のときに母親は亡くなります。
展示風景:「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」森美術館(東京)2024年
撮影:長谷川健太
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
ブルジョワを象徴する作品として、大きな蜘蛛の形をした作品が挙げられます。彼女にとって、蜘蛛は母親を象徴する重要なモチーフであり、姿勢を低く構える蜘蛛の姿には、優しく穏やかな母親像と、危険で獰猛な捕食者としての二面性が内在しています。
ブルジョワの作品に詳しくない方でも、大きな蜘蛛の作品を目にしたことがある方がいるかもしれません。本展を開催している森美術館が所在する六本木ヒルズのパブリックエリアには、大型の蜘蛛の作品《ママン》(1999/2002 年)が常設展示されています。
しかし、本展で展示されている蜘蛛の持つ印象は全く異なります。《かまえる蜘蛛》(2003年)には、ブルジョワにとっての母親像が強く反映されているように感じます。母親との別れを「見放された」と語る彼女にとって、強い母としての一面よりも、自身に恐怖心を与えた捕食者としての顔が強く反映されているのではないでしょうか。母に見放された経験はトラウマとなり、子どもを産むことは同時に子どもを見放すことでもあると考えるようになります。後にブルジョワは、自身が過去に囚われ、個人に対して敵意を向けてしまう性格であると語っています。
ルイーズ・ブルジョワ《自然研究》1984 年 ゴム、ステンレス鋼
彫刻:76.2×48.3×38.1 cm 台座:104.1×55.2×55.2 cm 撮影:Christopher Burke
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New
York
ブルジョワには、養子として迎えた男児と、夫であるロバート・ゴールドウォーターとの間に生まれた二人の息子がいました。彼女にとって母親となることは、自身を見捨てた母親を思い起こさせ、《自然研究》(1984年)など自らの母性について深く考察する作品群を創作する契機となりました。
その一方で、女性らしさに対する疑問を投げかける作品も展開しています。
ルイーズ・ブルジョワ《ファム・メゾン(女・家)》1946-1947年 油彩、インク、リネン 91.4×35.6 cm
撮影:Christopher Burke
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York
4点からなる絵画シリーズ《ファム・メゾン(女・家)》(1946-1947)では、家に守られながらも閉じ込められている女性の姿が描かれています。それぞれの作品には、マンションやクラシカルな邸宅など異なる家によって上半身が隠され、下半身をあらわにした女性が表現されています。これらの作品は、家と女性の関係を探求したフェミニズム的な視点から1960-70年代のフェミニズム運動で高く支持され、女性解放運動のアイコンとしても位置づけられています。
展示の冒頭から印象的なのは、ブルジョワの出産後に制作された作品の多くから、母親としての母性やずっしりとした安定感が感じられることです。母の介護や父の暴力といった精神的な不安定さを抱えつつも、母親の在り方を考え続ける母親としての強さが作品に表れています。
展示風景:「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」森美術館(東京)2024年
撮影:長谷川健太
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
今回の展示で最も印象的だったのが、天井から吊り下げられた作品《カップル》(2003年)と壁面の作品《午前10時にあなたはやってくる》(2007年)です。
カップルは晩年の作品まで頻繁に登場する重要な題材です。愛情や性的関心、誘惑、わだかまり、依存への恐れ、大切な人を失う恐怖など、ブルジョワの作品は二人の間に生まれる感情を表現したものが多くありますが、この作品もその一例です。向かい合う二人の形が崩れ、互いに絡み合おうとしているように見えます。
大きなアルミニウムの作品のため、離れてみると力強さを感じつつも、抱きつこうとする二者の境界がなくなることに気がつくと作品の中に内在する弱さが滲み出て見えるようになりました。
壁面の作品は、長年助手であり友人としてブルジョワを30年間支えたジェリー・ゴロヴォイが、毎朝10時にやってくることに由来します。二人の親密さが増していく過程は、40の手を描いた作品群に表されています。ブルジョワより若い男性でしたが、家族との関係に精神的な傷を抱えていたブルジョワにとって、自己を大切にしてくれるかけがえのない存在だったことがうかがえます。
ブルジョワは、父が家族を裏切る行為を続けていてもなお、父に愛されたいという相反する思いを抱いていました。この思いはブルジョワにとって永続的なトラウマとなり、父の死後に鬱病に苦しむ原因となりました。
「私は母の合理性と父の病んだ心を受け継いだ」
父親との関係を描いた作品群には、強烈な赤色と性的および暴力的なモチーフが頻出します。
本展でも、第2章でこれらの作品が多く展示されるのですが、より抽象的な作品が増加したため、それまでの展示の雰囲気とは異なる変化が感じられました。
ルイーズ・ブルジョワ
《父の破壊》1974年
アーカイバル・ポリウレタン樹脂、木、布、照明
237.8×362.3×248.6 cm
所蔵:グレンストーン美術館(米国メリーランド州ポトマック)
撮影:Ron Amstutz
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York
暗い洞窟のような空間が真っ赤に照らされたインパクトのある作品。父をモチーフにした作品の中でも独特の存在感を放っています。
中心の机の上には多数の肉が並べられ、それを取り囲むように半球型のオブジェが配置されています。この作品は、家族の夕食の席で自慢話を繰り返し続ける父を、痺れを切らした妻と子どもが解体して食べてしまうという、幼きブルジョワの幻想を基にしています。
直接的な表現によりグロテスクに感じられる一方で、ブルジョワは夢の中で父に対して復讐を繰り返すことでトラウマを克服したと語っています。
「芸術は正気を保証する」
晩年のブルジョワは心を解放する方法を模索しながら、家族や知人との関係を修復する過程を経ます。
例えば、晩年の5年間に制作した作品《意識と無意識》(2008年)では、意識と無意識をテーマとしています。父を亡くし鬱状態に陥ったブルジョワは、精神分析の過程で“無意識”というものにアクセスできるという芸術家ゆえの特性に気づき、「芸術は正気を保証する」という言葉を残したのです。布を縫い合わせた作品群を創作することで、別れや見捨てられることへの恐怖を克服することができたといいます。
今回紹介した作品は展示作品の一部に過ぎません。本稿では両親や家族をテーマにした作品を中心に紹介しましたが、フェミニズムの文脈においても非常に興味深いアーティストですので、気になった方は他の作品もぜひご覧ください。
展示の最後にブルジョワが自身の人生を語るビデオがあり、その語りは非常に魅力的です。「過去を捨てることを選ばないのであれば、過去を作り直すしかない」と語るブルジョワの姿を見て、私自身の過去との向き合い方について考えさせられました。
彼女の作品群は、現在と過去を真摯に見つめ続けた結果生まれたものだと実感します。母とは何か、女性とは何か、自らの姿を見つめることで社会に問い続けてきたブルジョワの姿を垣間見ることができた素敵な体験でした。
『ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』
会期:2024年9月25日(水)〜2025年1月19日(日)
会場:森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)
開館時間:10:00〜22:00(火曜日のみ17:00まで)
公式サイト:https://www.mori.art.museum/jp/
イラスト・文・構成/くどうあや