カリフォルニアに暮らし、さまざまなメディアを通して「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに発信するライター、竹田ダニエルさん。Z世代的価値観でのトレンドワードを切り口に「心・体・性」にまつわるさまざまな事象を語る連載『New “Word” New “World”』第1回~10回をまとめました。
- アメリカのZ世代的価値観における「恋愛と性」とは? “ソロデート”って何?
- 人間関係をHow Toで攻略しようとしていない? メンタルケアの誤った解釈“セラピースピーク”の弊害
- ”嫌われたくない”日本と、アメリカの友人関係の違いとは?
- 過度なルッキズムとメンタルヘルスとの関係
- 「孤独」を感じるのは、コミュニケーションスキルが低いから?
- 経済格差が友情、恋愛にもたらす影響とは
- 女性たちのあるあるネタ“girl〇〇”ブームとは? あえて適当な食事をSNSで発信する社会的背景
- 仕事はただの“ATM”? 「Lazy girl job」から考える、Z世代の働き方革命。
- アメリカで流行する“痩せ薬”「オゼンピック」とは? ダイエットカルチャーの変遷から考える食とメンタルの関係性
- 過剰な“ポジティブ思考”がもたらす悪循環。ネガティブな感情を受容することで見えるものとは?
アメリカのZ世代的価値観における「恋愛と性」とは? “ソロデート”って何?
Greek Theatreにて、Louis The Childのライブに行った際の様子(Photo by Daniel Takeda)
ダニエルさん:アメリカではデーティングがよりライトになった、「カジュアルデーティング」を選択する人が増えています。特定の人と“つき合う前のお試し”をする、というよりは、不特定多数の人と同時並行でデートをする、というイメージでしょうか。ここで注目したいのは、カジュアルデーティングの背景に「反コミットメントカルチャー」が深く関係しているということ。
その理由のひとつには、「未来への不安」が挙げられます。Z世代は、幼い頃から環境破壊や政治不安などさまざまな問題について、SNSを通して身近に感じてきた世代です。また、パンデミックのように突然社会が変わってしまい、それがいつ終わるかもわからないという不安にも直面している。そうなると、不確定な将来に向けて今の時間を使うよりも、目の前の生活や自分の精神的な安定を維持することのほうが大事になるわけです。
カリフォルニア独特の夕暮れの景色(Photo by Daniel Takeda)
また、恋愛そのものに疲れてくる人が増えている現状も。誰かとデートしたり付き合ったりするよりも、自分とのデート=「Solo-Date(ソロデート)」を楽しもうというコンセプトが広がりつつあります。
誰かに愛されることを重視する幸せの測り方よりも、自分で自分を幸せにしたらいい、という考えが広がりはじめているんです。気になっていたレストランや憧れの国に行くなど、自分の夢を自分でかなえてあげる。そんな「Solo-Date(ソロデート)」が支持されはじめています。
人間関係をHow Toで攻略しようとしていない? メンタルケアの誤った解釈“セラピースピーク”の弊害
植物園に生える巨大なサボテン(Photo by Daniel)
ダニエルさん:アメリカでカウンセリングは「サイコセラピー」と呼ばれ、保険が適用されることも。疾患がなくとも心の調子を整えたり、パートナーや家族との関係をよくするために気軽に話に行く、という認識も広く浸透していると思います。特に新型コロナウイルス感染症のパンデミック以降は、体の健康と同じくらいメンタルヘルスの重要性が認知されるようになり、カウンセリングや心理セラピーに通う人がこれまで以上に増えているそうです。
また、TikTokやInstagramなどのSNSでは、メンタルヘルスに関する情報や具体的なアドバイスを発信するアカウントも増えていて、それと同時に一般の人までがセラピストのような話し方をする「Therapy Speak(セラピースピーク)」が広がっています。
サンフランシスコのフェス、Outside Landsのステージ(Photo by Daniel)
一方で、セラピーを受けることがカジュアルになり、メンタルヘルスに関するコンテンツが増えたことで、SNSなどでは間違った情報が広がっています。
ひとつの例として、“友人から相談を受けたときにうまく断るための「セラピースピーク」”が一気に拡散され、非難されたことがありました。その投稿によると、自分には抱えきれない相談を誰かにされたら、「相談してくれてありがとう。でも、今の私には余裕がないから話が聞けない」と答えるようにしよう、というHow Toが書いてあったんです。
どこか定型文的で、他人行儀な言葉遣いには少し違和感があるし、目の前で助けを必要としている友人をシャットダウンするような態度に、批判的な声も集中しました。
セラピーが広まったことで、相手を気遣ったり、自分に向き合ったりしているように見せかけて、結果的に相手をコントロールするためのツールが広がってしまったことも弊害としてとらえられています。
”嫌われたくない”日本と、アメリカの友人関係の違いとは?
飛行機から見えるロサンゼルスのビーチと夕焼け/Photo by Daniel Takeda
ダニエルさん:日本は“建前社会”という一面もあるから、なかなか本音をさらけだしにくいと言われていますよね。一方、アメリカでは幼い頃から自己主張することを求められます。なぜなら、多様性に富んだ移民国家だから。文化や宗教、価値観などバックグラウンドが異なる人々が大勢暮らしているので、自分の考えは口に出して相手に伝えないと理解してもらえない。そういう社会に生きていると、誰かに質問されたら“深く考える前にとりあえず何かを言おうとする癖”がつきやすいんです。
とはいえ、悩みをすべて打ち明けたり自分の全部を知ってもったりすることが“真の友達”かと言われればそうではない。例えばどれだけ長く一緒にいる友人でも、自分と考えや価値観がすべて合うということはないし、今は気が合っていても、フェーズや環境の変化で考え方も変わっていく。だから、表層的な話になることをあまり気にしなくてもいいのかなと思います。
韓国のお店の入り口/Photo by Daniel Takeda
ネガティブな考えを持ってしまいそうになったら、ジェニファー・ローレンスの「私は全員に好かれているわけではないけれど、私も全員が大事なわけじゃない」という言葉を思い出します。つまり、自分にとって大事な人にだけ理解されていたらいいんです。話を聞こうとしないのは相手が自分の価値をわかっていないということ。もちろん、自分の意見に価値があると思えるぐらいの根拠は必要ですが、自分を低く見積もらないことが大切だと思います。
共感性、想像力が持てるようになると、むやみに「こんなこと言ったら嫌われるかな」とビクビクすることが減ります。「これを言っても大丈夫」と自分の発言にも自信もつくはずです。誰かと本音で言い合える関係を結ぶためには、まずは自分の感情に向き合って言語化することから始めてみてはどうでしょうか。
過度なルッキズムとメンタルヘルスとの関係
J-waveのスタジオからの景色/Photo by Daniel Takeda
ダニエルさん:過度なルッキズムはメンタルヘルスと結びついているのに、その深刻さがなかなか語られないですよね。整形やダイエットに関する情報を頻繁に発信するインフルエンサーのコンテンツを見ると、「常に自分磨きをしていて素敵!」といった称賛の言葉が並んでいて驚きます。
このような発信を続ける人たちの影響力が大きくなるほど、「可愛いほうが得をする」という考えが真理のような気がしてきてしまいます。そしていちばん怖いのは、いつしか「可愛くなることは努力の証」「可愛くない=努力が足りない人」と、見た目が人格に結びつけられてしまうことです。
行きすぎたルッキズムのせいで、子どもの頃から親に容姿についてうるさく指摘されたり、親の理想的な見た目になると突然肯定されたりすると、「人から愛されないのは私の容姿のせいだ」「可愛くないからだ」と思い込んでしまう人も。
グリーンルームビーチの帰りの夕焼け/Photo by Daniel Takeda
“画一化された美”は自分を否定するだけでなく、他人を否定する基準になってしまうと思うんです。人を見た目だけで判断してしまうと、生きにくい社会の負のサイクルに加担することになります。当たり前のことですが、人間は外見がすべてではないですよね。その人が持つユーモアや価値観、知識などいろんな魅力、側面がある。外見だけを見て人を判断していたら、自分と話が合う人や親身に向き合ってくれる人と出会うチャンスをなくしているかもしれない。これはとてももったいないことです。
「可愛い」や「きれい」は経済活動や社会的な評価と複雑に絡み合っています。自分の本当の幸せに気づくこと、自分自身の価値観やメンタルヘルスを大切にすることが、ルッキズムに振り回されないきっかけになるのではないでしょうか。
「孤独」を感じるのは、コミュニケーションスキルが低いから?
ダニエルさん:近年日本でも“弱者男性”という言葉が使われることがありますが、アメリカでも貧困・独身などの要素がある男性を中心に、「男性が孤独を深めている実態を社会が救わなくてはいけない」といわれているんです。しかしここで併せて考えたいのは、男性の孤独は“社会問題”として扱われるのに、女性の孤独は問題視されにくいということ。そのアンバランスさを、もっと語るべきだと思うんです。
そもそも女性は長い間、社会に参入できずに孤立を経験してきた歴史がありますが、その声は長年無視され続けてきました。また、『アスペルガー症候群』や『自閉スペクトラム症』といった発達障害に伴う特性は、長年白人男性を中心に臨床実験がされており、女性に焦点が当てられてきませんでした。女性が「人とコミュニケーションを取ることが苦手で孤独を感じる」と叫んでも、その声は軽視されてしまう。
つまり、男性の孤独は社会問題の文脈で語られるのに、女性の孤独は「当たり前のもの」「個人の問題」として矮小化されがちということです。
アメリカでの孤独問題を解決するキーワードの一つに、『Walkable city(ウォーカブルシティ)』があげられます。車社会のアメリカでは、これまで大都市以外、“車ありき”の街づくりがされてきました。しかし最近では、徒歩圏内で生活できるウォーカブルシティがコミュニケーションを活発化させるアイディアのひとつとして注目を集めているんです。
ただ、大学を卒業して就職すると、ほとんどの学生は車なしの生活が成り立たない郊外に行きます。日本のように就職しても学生時代の友達と頻繁に会うことは難しく、住んでいるエリアでも車社会がゆえに新しいコミュニティを築くことが難しくなって、物理的な距離がゆえに人との交流が再びなくなってしまうことも。
孤独を「コミュニケーションスキルが低いから」「モテないから」といった個人の問題に集約するのは短絡的すぎると思います。根本的な原因は、資本主義的な社会システムや教育、街づくりなどが複雑に絡んでいることなんです。そして、孤独問題は男性だけではなく、すべてのジェンダーを包括する問題であり、決して他人事ではない。そのことを、私たちは忘れずにいる必要があるのではないでしょうか。
経済格差が友情、恋愛にもたらす影響とは
ダニエルさん:人との関係をコミットしにくい背景の一つには、経済格差があると感じています。今のアメリカはインフレが加速していて、とにかく物価が高い。以前であればボーリング場やカフェなど若者が気軽に集まれた場所でさえも、どんどん料金が高騰し、仲を深めづらくなっています。ガソリン代もすごく高いので、「家を出るだけで30ドル(約5000円)かかる」というリアルなジョークもよく使われているほど。
収入の格差もどんどん大きくなっています。たとえば、サンフランシスコにおける「中流階級」の収入はおよそ1200万円で、1000万円程度の給料であれば低所得という印象です。
経済状況が苦しいからといって「節約してがんばろう」という個人の問題に落とし込んではいけない気がして。そもそも、もっとお金に対してオープンに話せる場があったり、リテラシーをあげる機会が増えるべきだと思います。それが前提にあった上で、自分は何を優先するのか考えることが大切なのではないでしょうか。
お金をかけてでも新しい人と出会う時間を作りたいのか、親しい人とより親密な時間を過ごしたいのか、もしくは一人の時間を充実させたいのか…。自分にとって何が大切かを把握していると、納得できる選択をすることができるのかなと思います。
女性たちのあるあるネタ“girl〇〇”ブームとは? あえて適当な食事をSNSで発信する社会的背景
ダニエルさん:2023年、TikTokを中心に「girl dinner(ガール・ディナー)」という言葉がトレンドになりました。端的に言うと、栄養バランスや盛り付けを意識したきちんとした料理ではなく、家にある食材で自分が食べたいものを食べることです。2023年の5月、あるTikTokユーザーがパンやチーズ、バター、ピクルスといった適当につまめるものを並べて「girl dinner」と、その食事スタイルに名前をつけて投稿したところ大きな話題になりました。
さらに、そこから派生して、「girl math(ガール・マス)」といったワードも生まれました。
たとえば、一度購入した洋服を返品した場合、返金されたお金で儲かったように感じるとか、ポケットからたまたま出てきた1000円でワインを飲んだから実質無料、といった独自の理論を展開したりとか…。そういうエピソードを、女性自らが「girl math」と名付けて投稿したんです。
当初は笑いを交えて紹介されていたのですが、次第にミソジニー男性から「やっぱり女性は計算ができない」とか「女性はお金の管理が苦手だ」といった女性をバカにする意見が出るようになりました。また、同性からも「女性で数学が得意な人はいるのに、“ガール”とつけて一括りにしないで」といった指摘も目立つように。
また、前出の「girl dinner」についても、ダイエットコーラやスムージーだけで夕食を済ませる投稿などが、摂食障害の美化につながると非難されるようになり、「ガール◯◯」が批判や議論とともに、さらに話題になったんです。
これまで「女性の買い物は無駄遣い」とみなされることが多かった。だからあえて「girl math」と名付けて、自分の消費行動を正当化するための計算方法が必要だった。浪費や衝動買いをしてしまったとき、「実質無料」と罪悪感から自分を解放したくなるのは、従来の価値観による「女性の買い物はくだらない」という価値観へのカウンターなのではないでしょうか。また、「girl dinner」は、“女性はきちんと料理をして綺麗にお皿に盛り付けるのが当たり前”といった前時代的なジェンダーロールへの対抗であったと思います。
日本でいう「〇〇女子」という言葉には、そのほとんどに“男性からとらえた女性像”が前提になっていると思います。「女性なのに〜」というニュアンスが含まれていますよね。一方、「ガール◯◯」は、男性中心社会や家父長制の視点から外れて、自分軸で語るものです。「少女らしさ」「女性らしさ」に異議を唱え、自分たちの女性観を利用しながら違和感を感じるメカニズムを可視化していく過程なんです。そうすることで、「ガール」という概念を、男性からの視線ではなく、自分たちの手に取り戻すことができると感じます。
仕事はただの“ATM”? 「Lazy girl job」から考える、Z世代の働き方革命。
ダニエルさん:以前、著書の中で「Quiet quitting(静かな退職)」という言葉を紹介しました。これは本当に退職するという意味ではなく、「会社で必要以上に頑張って働くことをやめよう」という意味が込められているのですが、最近は(怠け者の女性の仕事)」を見つけようとする人が増えていると言います。
具体的にいうと、フルリモートでフレキシブルに働けてPTO(有給)がついているとか、ベネフィット(手当や福利厚生制度)がよいとか、簡単な事務作業のみで済むとか、うるさい上司がいないとか…身を粉にして必死に頑張らなくても、それなりに暮らしていける仕事を指します。
「lazy girl job」はある種皮肉な言葉だと思うんです。そもそも、ブーマー世代がミレニアル世代のことを「Lazy(怠け者)」だと言い続けていた背景があり、それを間近で見ていたZ世代が、自らをあえてLazyと名付けることによって、他者から定義されないあり方を自分たちで決めようとしたんだと思います。“怠け者”というとネガティブなイメージがあると思いますが、「Lazy girl job」を見つけようとすることも、一種のアクティビズムだと言われています。
一時期、コスメブランド『Glossier』の創業者エミリー・ワイスや、血液検査を手がける企業『Theranos』創業者のエリザベス・ホームズなど、カリスマ性を持ったミレニアル世代の女性経営者がもてはやされましたが、パワハラや人種差別、脱税、虚偽などで訴えられたり、捕まる人が続出しました。
エンパワメントの象徴であった女性起業家たちが、よくないロールモデルになってしまった。それを見たZ世代の多くが、自分の時間や心身の健康、第三者を犠牲にしてまで莫大なお金を稼いだり、名声を得ることは虚しいことだと感じるようになったのではないでしょうか。
もちろんハッスルしたい、仕事を全力で頑張りたい、という人もいます。「Lazy girl job」は新自由主義的な考えに対するカウンターであって、全員がハッスルカルチャーを捨てたわけではない。
とはいえ、ハッスルすることに疲れた人は多いのではないでしょうか。バリバリ稼いで、消費しまくる生活が果たして自分の幸せなのか? それはただの資本主義の権化になっているだけなのではないか?と。頑張り続けることだけがすべてじゃない、と提示されただけでも進歩だと感じます。
多くの人がパンデミックを経験し、何を大事にして生きていくのか問い直したと思うんです。長い人生、仕事でしか幸せを感じられないのはとても危うい。燃え尽き症候群になって空っぽになったり、体を壊すほど働き詰めになる前に、自分の幸せにフォーカスし、仕事への向き合い方を考えてみてほしいなと思います。
アメリカで流行する“痩せ薬”「オゼンピック」とは? ダイエットカルチャーの変遷から考える食とメンタルの関係性
ダニエルさん:アメリカでも日本でも、日々さまざまなダイエットカルチャーやフィットネストレンドが生まれていますよね。振り返ると2000年代はローカロリーとかファットフリーといった言葉をよく耳にしていましたが、今アメリカではカロリーを極端に制限することは不健康だという認識が広がりつつあります。一方で、ヘルシーで健康的な生活を意識するあまり、ハードな筋トレを毎日してプロテインを過剰に摂ったり、「炎症作用」のある食材等を厳密に避けたりする人もいて、そのように一見健康的に見えても、食事や体型に執着しているのもある種の摂食障害ではないかと指摘されているんです。
そんな中で近年は美の多様性が広がり、「太っていても痩せていてもどちらでもいい。自分の体を愛そう」という前向きなメッセージを込めたボディ・ポジティビティがムーブメントになりました。
ボディ・ポジティブは「細い=美しい」といったステレオタイプによる苦しみから解放されて、誰かと比べるのではなく、自分の基準で体型の見方を変え、前向きに受け止めようと伝えています。ただ、「自分の体を愛そう」というポジティブなメッセージをプレッシャーに感じる人もいました。長い間自分の体型やサイズを受け入れられなかった人にとって、「自分の体を愛そう」と言われてもなかなか難しい。そして、できないことでまた自信を失ってしまう。そうした中で、ボディ・ポジティブから派生した「ボディ・ニュートラル」という考え方が広がりつつあります。
今はまだボディ・ニュートラリティの認知度が高くないので、これからかなという感じはあります。実際にZ世代を中心に人気を集めているのはベラ・ハディッドのようなスリムな体型のモデルですし、キム・カーダシアンやアデル、ミンディ・ケーリングが最近激痩せしたことでも話題になりました。スリムになったセレブの中には公表していないけれど、「オゼンピック」を使ってサイズダウンした人もいるともうわさになっているんです。
もともと糖尿病患者のために作られた薬なのですが、副作用で食欲が減退すると言われていて、それが痩せ薬として広まってしまったんです。※(参考記事 https://www.newyorker.com/culture/2023-in-review/the-year-of-ozempic)
長期間の使用によってどれぐらいの健康リスクが伴うのかはまだ誰にもわかっていない。かなり危険性が高いと思います。加えて、本来糖尿病や多嚢胞性卵巣症候群の人が必要としている薬なのにもかかわらず、ダイエットのために服用したい人たちの影響で品薄になっていることも大きな問題になっています。
過剰な“ポジティブ思考”がもたらす悪循環。ネガティブな感情を受容することで見えるものとは?
ダニエルさん:未曾有のパンデミックによって多くの人が不安を抱えやすくなった2020年頃から「『自分は助けを必要としている』と言えるようになろう」という動きがアメリカで広がりましたが、同時にそのなかで「toxic positivity」という言葉が注目されるようになりました。
「有害なポジティブさ」という意味で、さまざまな困難な状況に陥っている人に対して楽観的であることを過度に強いるなど、「ポジティブであることこそが最重要である」という社会的価値観のことを指します。
もちろん、ポジティブであることを否定しているわけではありません。でも、人は誰しもつねにポジティブでいられるわけではないですよね。経済的に困難だったり、病気を抱えたり、愛する人を失ったり、ハードな労働環境に置かれたり。後悔や怒り、悲しみ、つらさ、喪失感といった精神的苦痛は誰でも味わうことがある。それなのに、いつでも「ポジティブでいなければならない」というプレッシャーを感じていると、ネガティブな感情に罪悪感を覚えてしまい、本当の気持ちを無視してしまうことになります。
本当はつらくて悲しいのに「いつまでもくよくよしていないで、前を向こう」という圧力は何の問題解決にもなりませんよね。感情を抑圧することで社会への苛立ちや不満が表出しにくくなり、本当に必要な根本解決のためのサポートから遠ざけてしまいます。
そして人から話を聞くときも、ネガティブな感情を受けとることを拒否すれば相手の本心を知ることはできません。本当の問題から目を反らせる言葉をかけるのではなく、落ち込んでいる人のネガティブな言葉を否定せず、傾聴することがまずは大事だと思います。
「Toxic positivity」が認識されはじめてからは、ポジティブ大国のアメリカでも、Z世代を中心とした若者の間では「絶望」の感情は当たり前のものとして存在していて、ネガティブであること自体が否定されにくくなってきているとも感じます。